株式会社トビーズは、「不動産賃貸・管理」と「不動産コンサルタント」をコアの事業とし、新規事業として、海外留学支援と、海外不動産投資を行っています。
当社の本社ビルは、今から400年も昔の、戸塚宿「江戸方見付」跡地に建築されています。戸塚は、徳川時代の慶長9年(1604年)に、徳川幕府より東海道の宿場として正式に認可されましたが、当社の本社ビルの所在地には、戸塚宿の出入口となる「江戸見付」が建てられました。現在の横浜市中心部は、江戸時代初期はほんの僅かな漁師が住む貧しい漁村でした。
戸塚宿は江戸日本橋から5番目の宿場で、江戸から10里(40km)、保土ヶ谷と戸塚の間の山は武蔵国と相模国の境になっていて、東海道が山を越す所に国境を示す傍示杭の境木が立っていたところから、現在でも境木の地名が残っています。
戸塚宿は相模の国に入って最初の宿場として長い間大変栄えました。幕末になり、多くの外国人が横浜を訪れる様になり、幕府は横浜港に近い戸塚宿の江戸見附付近に、外国人が宿泊可能な旅篭の建設を命じ、旅籠屋「わたや」が、わたや吉左衛門(後に鈴木吉左衛門)により改築されました。その後、江戸参府のオランダ人等の外国人が、この旅籠屋「わたや」を多く利用したと言われています。
当時の様子は、横浜開港100年記念として神奈川新聞が特集した記事(当時横浜を訪れた英国人貿易商の子孫が神奈川新聞に寄贈)か伺う事が出来ました。また、戦後、敷地内の古い蔵を解体した際に、「WATAYA」とローマ字で書かれた大きなお皿が何十枚も発見されました。
明治時代初期迄、戸塚区吉田元町は鎌倉郡戸塚町字元町と呼ばれ、鎌倉郡に属しており、当時、豪農、鈴木吉左衛門は戸塚町町長でしたが、吉田元町に水道を引く事業を彼の生涯の仕事として、完成させました。
株式会社トビーズの代表取締役 鈴木武道氏は、鈴木吉左衛門の孫にあたります。当社のロゴマークの「五三の桐」の家紋は、鈴木家の家紋からデザインしたものです。会社名の「トビーズ」の語源は、代表取締役の幼い時からのニックネームである「Tobious」から取ったものです。